No. |
年月日 |
出典 |
証言者名 (敬称略) |
証言内容 |
1 |
2012年11月14日 |
Racing on No.461 総力特集 日本のレースとともに歩みし50年ー 鈴鹿サーキット |
塩崎定夫 |
〇「本田さんは『オマエが作ったコースでは誰も信用しないから、誰かガイジンをつれてこい、ガイジンなら誰でもいい』というんです。それでオランダの販売店で相談したらフーゲンホルツというひとがいるらしいと。フーゲンホルツさんも東洋、特に日本なんて来たことがないわけで、もう喜んで即返事がきて、帰国する時に一緒に連れてきちゃったんですよ」 〇「レイアウトの良し悪しなんて分からないから、この(1/1000の地形模型)上から線を引いて、石膏を削りながら、なるべく削らないで済むような線できめたんです」 〇「フーゲンホルツさんの意見は実際にはほとんど入っていません。修正する時も、直したのはわたしですから」 |
2 |
2021年3月15日 |
慎慮と洞察 » 鈴鹿サーキット (bxinstitute.com) |
泉利治 (ブランドワークス研究所) |
私は塩崎さん、当時、塩崎専務からデザインのチェックを受けたり、様々な教えを受けていたので、それらのネット記事に何とも言えない気分で読んだのだが、塩崎さんが鈴鹿サーキットを設計したのは自分だというのも半分くらいは真実であるとの確信から本文を書く気になったのである。 |
3 |
1983年7月25日 |
日本モーターレース史pp.26~27 | 桂木洋二編(山海堂) |
その後サーキットは、オランダ・ザントフォールト・サーキットなど3ヵ所のレーシングコースを設計したジョン・フーゲンホルツの設計になるといわれたが、実際には塩崎らのレイアウトをフーゲンホルツのアドバイスにより、6kmコースができたというのが真相とのことである。 |